どの分野においても働き手の不足が大きな問題となる中、退職する社員が他の社員を引き連れていく引き抜き行為が問題とされることがあります。
特に、労働者は、在職中には使用者の正当な利益を信頼関係を破壊するような不当な態様で侵害してはならないという義務(誠実義務)を負っていることから、在職中にこうした勧誘行為が行われる場合には、この誠実義務との関係が問題となり得ます。
そこで、近年の裁判例を見ながら、在職中に行われた引き抜き行為がどのような場合に違法となるのかについて、考えていきたいと思います。
引き抜きの違法性が否定された例1
令和2年3月6日東京地裁判決は、
従業員が、他の従業員に対して、同業他社への転職のために引き抜き行為を行うことは、当該従業員の転職の自由に照らすと、直ちに違法であるということはできない
とする一方で
企業の正当な利益を考慮することなく、著しく背信的な方法で行われ、社会的相当性を逸脱した場合には、このような行為は違法となる
としています。
この事案は、支店の営業部長として勤務していた労働者が、支店の従業員全員である他の3名の従業員とともに退職したという事案でしたが、「当該労働者が他の3名に対して積極的に退職及び自分が設立する新会社への入社を勧誘するなどした事実は認められない」として、違法性は否定されています。
判決の中では、当該労働者が、他の従業員3名のうち、会社への不満や独立する意向を聞かされていた1名との間では、「退職にあたり相応の意見交換をしたことはうかがわれる」が、「そのこと自体は、著しく背信的であるとか社会的相当性を逸脱するものであったとは言いがたい」とも述べられています。
引き抜きの違法性が否定された例2
もう一つ別の事例(令和3年10月15日大阪地裁判決)も見てみます。
この事案は、医療機器や美容商品などを販売する会社で、営業部長として勤務していた元労働者に対して損害賠償が請求された事案ですが、請求の理由の一つとして、部下に対して、自らの立ち上げる新会社への違法な引き抜き行為が行われたとの主張がなされました。
この点について裁判所は、
「退職に先だって、部下に対して、退職後に新会社を立ち上げて事業活動を行う予定であることを伝え、また会食を開いて、待遇面について話をした事実は認められる」
としながらも、これを超えて、
「その地位を利用して圧力をかけるなどして新会社への転職を強く求めたとの事実は認定できない」
として、社会的相当性を逸脱した引き抜き行為とは言えないと結論付けました。
引き抜きの違法性が否定された例3
さらに、別の事例(令和4年11月10日東京地裁判決)も見てみます。
この事案は、店舗への食料品の配送事業を営む会社が、元従業員に対して、在職中に、他の従業員(関連会社の従業員を含む)に対して、他の会社への転職を勧誘し、うち4名を違法に引き抜いたとして損害賠償を請求したケースです。
判決は、上で見た令和2年3月6日東京地裁判決と同様に
従業員が行った引き抜きが単なる転職の勧誘を超え、社会的相当性を逸脱して極めて背信的な方法で行われた場合には不法行為となる
という判断基準を示した上で、社会的相当性を逸脱した引き抜き行為であるか否かは、
・勧誘の方法や態様
・引き抜きをした従業員の地位や数
・従業員の転職が会社に及ぼした影響
などの事情を総合考慮するとしました。
そして、本件では、以下の点を指摘して、社会的相当性を逸脱した引き抜き行為とは言えないと結論付けました。
・勧誘を行った労働者と他の従業員らとの間には職務上の上下関係はなかったこと。
・勧誘に際して、客観的な事実と異なる虚偽の事実を述べたとは認められないこと
・ことさらに会社の評判をおとしめる言辞を用いて転職勧誘を行ったとは言えないこと
・引き抜きのために特に有利な条件を提示して転職を勧誘した事実もないこと
・転職先の会社と元の会社は競業関係にないこと
・営業所には35人ないし40名程度の配送業務に従事する従業員がおり、そのうち退職した従業員は4名にとどまること
・早期に退職するように働きかけた事実はなく、勧誘を受けて退職した従業員は会社が定めた退職申出期間に従って退職していること
・上記点に照らすと、会社に損害を与える目的で転職勧誘を行ったとは言えず、また、会社に与えた影響が大きいとも言えないこと
引き抜きの違法性が認められた例
一方で、引き抜きの違法性が認められた例(令和3年4月16日宮崎地裁判決)も見てみます。
本件では、派遣業を営む会社で「営業管理課・人材開発課」の課長職にあった労働者が、在職中に派遣業を営む新会社を設立した上で、派遣スタッフに対して新会社への移籍を勧誘し、これに応じて新会社に移籍した派遣スタッフを従前の派遣先に派遣したという行為が問題となりました。
裁判所が示した引き抜きが違法となる場合の判断基準及びその考慮要素は上で見た裁判例と同様でしたが、裁判所は、次の点を指摘して、労働者行った引き抜き行為は「社会的相当性を逸脱していると言わざるを得ない」と結論付けました。
・新会社に移籍してきた派遣スタッフを、元の会社の在籍時と同じ派遣先企業へ派遣する行為は、派遣相当額の売上げを失わせ、また、代わりの派遣スタッフを派遣することも不可能になる可能性が高いことから、元の会社に対する影響が大きいこと。
・在職中に、新会社を設立し、実際に収益を上げていた事実は行為の悪質性を基礎付けること。
・派遣スタッフを勧誘する際、会社と話がついているかのような話をし、派遣先企業に対しても、会社が移籍を了承済みであるかのような言動を行ったことは問題があると言わざるを得ないこと。
・雇用スタッフが163人から133人に、粗利が約648万円から約331万円に減少したことに照らすと、引き抜き行為が会社に与えた影響は軽視できないこと。
注意する必要があるのは、本件では、単なる引き抜きだけでなく、派遣スタッフの移籍に伴って取引先を奪う行為がセットで行われており、しかもそれが在職中から行われていたという点です。
加えて、派遣先スタッフに対しても派遣先企業に対しても、元の会社から了解が得られている旨の事実と異なることを告げて、いわば騙すような形で行為が行われた点も重視されて違法と結論付けられました。