「この秘密保持誓約書に署名してください」
在職中や退職時、会社からこう言われて戸惑った経験はありませんか?
秘密保持誓約書に署名すると、退職後の行動が制限されたり、思わぬ法的リスクが生じることがあります。
「断ってもいいのか?」「内容をよく読まずに署名してしまったけど大丈夫?」といった不安を抱える方も少なくありません。
この記事では、秘密保持誓約書の法的な意味、署名によって生じるリスク、拒否できる場合の判断基準や適切な対応方法について、弁護士がわかりやすく解説します。
なお、よく似たものに「競業避止義務に関する誓約書」がありますが、これは、秘密の漏洩の有無にかかわらず競業行為自体を制約するものです。競業避止義務について詳しく知りたい方は、退職後の競業避止義務~誓約書は拒否できるか?をご覧ください。
また、もし実際に「秘密保持義務や競業避止義務に違反している」と元の会社から通知を受けた場合は、早期の冷静な対応が不可欠です。対応のポイントをまとめた以下の記事も参考にしてください。
⇒ 「競業避止義務に違反している」と言われたときの正しい対応法
秘密保持誓約書とは?サインする意味と法的効力
秘密保持誓約書を提出することには、どのような意味合いがあるのでしょうか。
会社が存続発展していくためには、守るべき一定の営業上あるいは技術上の情報が存在しますが、このような営業秘密の不当な開示や使用等を規制する法律として「不正競争防止法」という法律があります。
この法律では、例えば、不正な手段で取得した営業秘密を使用する行為や、事業者から示された営業秘密を不正の利益を得る目的で使用する行為等の一定の「不正競争行為」について、損害賠償や差止請求が認められています。
したがって、このような不正競争行為については、たとえ秘密保持の誓約書がない場合でも、損害賠償や差止請求の問題が生じてきます。
もっとも、不正競争防止法に基づく請求が認められるためには、法律上定められた一定の厳格な要件を満たすことが必要になってきますし、これだけ秘密保持の効果が十分にあるとは言えません。
そこで、秘密保持を徹底させるべく、会社は従業員から秘密保持の誓約書を取り付けようとするのです。
ここで重要なのは、秘密保持の誓約書を提出することによって、当事者の合意によって成立する「秘密保持契約」が成立することになるという点です。
そのため、たとえ不正競争防止法に違反しない場合でも、秘密保持契約に違反する場合には、これによる損害賠償等の問題が生じるのです。
言い換えれば、秘密保持契約を締結していない場合には、不正競争防止法に違反していないかだけが問題だったのが、秘密保持契約があることによって、さらに秘密保持契約に違反していないかも問題になってくるのです。
「知らなかった」は通用する?裁判例から見る誓約書のリスク
このような重大な意味を持つ秘密保持の誓約書ですが、いざ問題となったときに「知らなかった」「よく見ていなかった」という主張は基本的に通らないと思っておく必要があります。
例えば、具体的な裁判例で見てみると、ある水処理設備の設計等を行う会社が、退職後に競業会社を立ち上げた元従業員らに対して秘密保持義務違反を理由とする損害賠償や差止等を求めた事案(平成10年9月10日大阪地裁判決)では、在職中及び退職時に元従業員らが署名して提出した秘密保持に関する誓約書が請求根拠の一つとされました。
これに対して、元従業員らは「内容をよく確認しないまま署名したものだ」として秘密保持契約の成立を争いましたが、裁判所は、「格別の事由も認められない本件においては、会社と元従業員らとの間で書面どおりの内容の合意、すなわち会社主張の秘密保持契約が成立したものといわざるをえない」として、このような主張を排斥しています。
事案の結論としては、「元従業員らが使用した情報は秘密保持契約で使用が禁じられている情報に該当しない」等の理由で会社の請求は否定されているのですが、いずれにしても「よく分かっていなかった」「よく見ていなかった」という主張は裁判ではなかなか通らないことを、まず押さえておく必要があります。
秘密保持契約はどこまで有効?退職後への影響と制限の範囲
このように会社の立場からすれば、秘密保持の効果を万全にするための秘密保持契約ですが、従業員にとっては、退職後の職業選択の自由や、営業の自由に対する大きな制約になります。
そこで、秘密保持契約を結んでも、その効果は無限定に認められるわけではなく、職業選択の自由や営業の自由に対する不当な制約にならない限度でみ有効となります。(詳しくはこちら≫退職後にも秘密保持義務を負うか)
つまり、秘密保持の誓約書に記載されている通りの効力が当然に認められるわけではないのです。
秘密保持の誓約書に記載されている内容があまりに無限定な場合は秘密保持契約そのものが無効となったり、あるいは、使用開示が禁じられる秘密情報の意味を限定的に解釈して、その限度でのみ有効とするなど(参考≫秘密保持誓約書と秘密の意味)、一定の制約が図られます。
秘密保持誓約書は拒否できる?拒否の可否と注意点
もっとも、そうはいっても、実際に争いになった場合に秘密保持契約書の違反になるかどうかの判断は簡単にはできませんし、違反にならないだろうと思える場合でも、退職後の行動への心理的な制約になる点は否定できません。
そこで秘密保持の誓約書への署名・提出を拒否できないか、という考えが出てきます。
ここで思い出して欲しいのは、秘密保持の誓約書の提出は、秘密保持契約という「契約」を締結する行為だ、という点です。
契約は、本来、当事者の自由な意思で行われるもので、そうであればこそ、効力が認められるものです。
したがって、秘密保持の誓約書への署名・提出についても、これを強制されるいわれはありません。内容に納得がいかないのであれば、署名提出を拒否しても何ら問題はありません。
とはいえ、退職時とはともかく、入社時や在職中に誓約書の提出を求められたときはこれを拒否するのは難しいのも実際のところだと思います。
しかし、少なくとも安易な気持ちで提出することのないように、内容をよく読んで理解すること、理解出来ない点は尋ねること、場合によっては弁護士に相談すること、写しを手元に残しておくこと等慎重な対応が必要です。
秘密保持にとどまらない誓約書全般についてはこちらで解説しています。
⇒退職時に誓約書へのサインを求められたら?断り方と注意点を弁護士が解説
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