退職後の秘密保持義務違反が問題とされる場合には、不正競争防止法違反を根拠に主張がされる場合と、会社と元従業員との間で締結された秘密保持の合意に基づく秘密保持義務違反を根拠に主張がされる場合(あるいはその両方)があります。
不正競争防止法において保護される営業秘密となるためには、秘密として管理されていること(秘密管理性)が必要です。(詳しくはこちら≫営業秘密とは何か)
では、秘密保持の合意に基づく秘密保持義務違反が問題とされる場合にも、同様に、秘密として管理されていること(秘密管理性)が必要となるのでしょうか。
ここでは、「秘密として管理されていたか」という点に着目して秘密保持義務違反の有無を判断をしている裁判例をいくつか採り上げたいと思います。
納得がいかない、でもどうすればいいか分からない・・・そんな時は、専門家に相談することで解決の光が見えてきます。労働トラブルでお困りの方は、お気軽にご相談ください。
詳しく見る
商品の仕入先情報と秘密保持義務
秘密保持の誓約書
まず、採り上げるのは不正競争防止法における営業秘密とは何かでも紹介した平成20年11月26日東京地方裁判所判決です。
この事案は、レコード、CDなどのインターネット通信販売を営む会社が、退職後に競業会社に就職した元従業員とその身元保証人を訴えたケースです。
使用や開示が問題となった情報は「商品の仕入れ先情報」でしたが、裁判所は、秘密管理性がないことを理由に不正競争防止法における「営業秘密」には該当しないと判断をしました。
もっとも、元従業員は在職中に、次の条項を含む「誓約書」や「秘密保持に関する誓約書」を会社に提出していました。
・業務上知り得た会社の機密事項、工業所有権、著作権及びノウハウ等の知的所有権は、在職中はもちろん退職後にも他に一切漏らさないこと
・私は、貴社を退職後も、機密情報を自ら使用せず、又、他に開示いたしません。
そこで、このような誓約書を提出したことによって負う秘密保持義務の違反があったかが別途問題となったのです。
裁判所の判断
この点について裁判所は
従業員が退職した後においては、その職業選択の自由が保障されるべきであるから、契約上の秘密保持義務の範囲については、その義務を課すのが合理的であるといえる内容に限定して解釈するのが相当である
と一般論を述べた上で、次の点を指摘しました。
- 本件各秘密合意の内容は秘密保持の対象となる本件機密事項等についての具体的な定義はなく、その例示すら挙げられていないこと
- 「誓約書」及び「秘密保持に関する誓約書」にも、本件機密事項等についての定義、例示は一切記載されていないことから,いかなる情報が本件各秘密合意によって保護の対象となる本件機密事項等に当たるのかは不明といわざるを得ないこと
- 原告の従業員は、本件仕入先情報が外部に漏らすことの許されない営業秘密として保護されているということを認識できるような状況に置かれていたとはいえないこと
そして、このような事情に照らすと、本件の仕入先情報について秘密保持義務を負わせることは、予測可能性を著しく害し、退職後の行動を不当に制限する結果をもたらすものであって,不合理であるとして、本件仕入先情報が秘密保持義務の対象となる本件機密事項等に該当すると認めることはできないと結論づけました。
取引先情報と重要機密
秘密保持の誓約書兼同意書
もう一つ、秘密管理性という観点から、秘密保持条項における機密事項への該当性を否定した裁判例(東京地裁平成29年10月25日)を採り上げます。
この事案は、食品の商品企画・開発及び販売等を行う会社が、退職後に競業会社に転職した元従業員に対して、秘密保持義務違反に基づく損害賠償等を求めたケースです。
開示・使用が問題とされた情報は、「取引先の名称、各取引先に係る商品規格、商品仕様、販売実績、販売価格、原価、粗利及び粗利率等の情報」でした。
また、元従業員は在職中に次の内容を含む「誓約書兼同意書」を提出していました。
原告在籍中はもとより退職(退任)後においても、業務上知り得た次に掲げる機密事項を会社外の第三者に対して漏えいせず、業務上の必要がある原告従業員以外の者に開示せず,業務外の目的による使用行為(情報へのアクセス権限を越えた情報システムの使用行為を含む。)をせず,また,当該機密事項を用いての営業,販売行為は行わない。
(ア) 原告の経営上,営業上,技術上の情報の一切
(イ) 原告の顧客,取引先に関する情報の一切
(ウ) 原告が顧客,取引先と行う取引条件など取引に関する情報の一切
(エ) その他,原告が機密事項として指定する情報の一切
裁判所の判断
裁判所は、まず一般論として、秘密保持の合意は、被用者の退職後の行動の一定の制約を課すものであることに照らすと、その内容が合理的で、被用者の退職後の行動を過度に制約するものでない限り、有効と解されるべきとした上で、本件での秘密保持条項については、
- 秘密保持の対象が「機密事項」とされていること
- 秘密保持の対象を包括的に規定した「その他,原告が機密事項として指定する情報の一切」において、使用者が機密事項として「指定する」ことが前提とされていること
に照らすと、
当該機密事項については、公然と知られていないこと,原告の業務遂行にとって一定の有用性を有すること,原告において従業員が秘密と明確に認識し得る形で管理されていることを要すると解すべきであり,これを前提とする限りにおいて,本件秘密保持条項は有効となる
と述べました。
つまり、本件で保護される機密事項になるためには、不正競争防止法における営業秘密と同じように、非公知性、有用性、秘密管理性が必要となるとしたのです。
その上で、裁判所は
- 当該情報が記載された書面が、会社の役員及び従業員が各自のコンピュータからアクセス可能なサーバに保管されており、これらの情報を閲覧,印刷及び複製できる状態にあったこと
- 当該情報が記載された書類が、定例会議などの打ち合わせの際に、「社外持出し禁」という表示を付すことなく、配布されていたこと
を指摘し、本件情報が記載された書類は、いずれも、従業員が秘密と明確に認識し得る形で管理されていたということはできないとして、秘密保持義務違反による損害賠償請求を否定しました。
このケースでは、誓約書の文言や規定方法等を理由に「従業員が秘密と明確に認識し得る形で管理されていることを要する」とされていますが、いずれにしても予測可能性を確保する観点も含め、従業員の退職後の行動に対する過度な制約にならないように限定が図られている点は重要です。